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コーポレートアイデンティティ、CI、企業理念にコーポレートメッセージetc…経営陣がいくら大層なものを掲げていても、正しく等しくインナーブランディングが行われなければ、ただの飾りになってしまう。
内部で理念浸透しないものが、社外の広い競争社会で通用するはずがない。では、どうやって従業員の間で企業の考えを共有させればよいのかという問いに、わたしは「ストーリー」を加えるように、と助言する。
「ストーリー戦略」については以前綴ったが、今回は「ストーリー」の存在そのものについて考えてみようと思う。
「ストーリー」ことばの意味
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ストーリーは直訳すると物語、筋書きだ。
物語とは何かを調べると、
1 さまざまの事柄について話すこと。語り合うこと。また、その内容。「世にも恐ろしい―」
2 特定の事柄の一部始終や古くから語り伝えられた話をすること。また、その話。「湖にまつわる―」
3 文学形態の一。作者の見聞や想像をもとに、人物・事件について語る形式で叙述した散文の文学作品。狭義には、平安時代の「竹取物語」「宇津保物語」などの作り物語、「伊勢物語」「大和物語」などの歌物語を経て、「源氏物語」へと展開し、鎌倉時代における擬古物語に至るまでのものをいう。広義には歴史物語・説話物語・軍記物語を含む。ものがたりぶみ。
4 歌舞伎・人形浄瑠璃の演出の一。また、その局面。時代物で、立ち役が過去の思い出や述懐を身振りを交えて語るもの。 https://kotobank.jp/word/%E7%89%A9%E8%AA%9E-186183
とある。今回わたしが示す物語とは、1に該当するものだろう。
一方で筋書きはというと、以下のようだ。
1 演劇や小説などの大体の内容を書いたもの。あらすじ。「芝居の―」
2 あらかじめ仕組んだ展開。「事が―どおりに運ぶ」 http://dictionary.goo.ne.jp/jn/118204/meaning/m0u/
この場合、1も2も近いような気がする。
「物語」にしろ「筋書き」にしろ、わたしがここで語る「ストーリー」とは、「ひとの心を動かす唯一無二のもの」であり、「現実社会で生きて活用されてるストーリー」だと前置きしよう。
どんなに難しいことばも、身近な出来事や感情表現に例えると、理解しやすくなるだろう。たとえば親が子どもに「ひとを殴ってはいけない」と教えるとき、なぜひとを殴ってはいけないのか、殴るとどんな結末が訪れるのかなどを、たとえ話をして言い聞かせることがある。
ひとを殴ると相手が怪我をする。怪我をすると相手はどんな気持ちになるだろう。目を怪我したら大好きな電車を見ることができなくなるかもしれない。痛くて遊べなくなるかもしれない。このように具体的な事象を提示することで、子どもはなぜひとを殴っていはいけないのかというストーリーに「共感」できる。理解すべきものの難易度はともかく、「共感」することで心に浸透するのは、子どもに限った話ではない。
しかし、共感を呼ぶコンテンツはストーリーだけではない。一枚の写真、料理、香りからだって、共感し、感動を得ることがある。共感を目的とするなら、ストーリーばかりに頼らなくてもよいではないかと言われれば、そうかもしれない。それでは、モノとストーリーの差についても考えてみよう。
静止画やモノとストーリー
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ずっと応援しているサッカーチームが優勝をした翌日、新聞一面に優勝を決めた瞬間の写真が大きく掲載されていたとしよう。
その写真をみて狂喜乱舞するひともいれば、優勝の事実を情報として記憶にとどめるだけのひともいると思う。
両者の違いを平たく言えば、サッカーに対する興味の差かもしれない。
では、同じサッカーファンで、優勝チーム以外のファン目線を加えてみよう。そうしたとしても、優勝チームのファンほどの喜びや興奮はみせないだろう。ひいきにしているチームの敗北に対する嘆きや悲しみが優っているかもしれない。
このような感情が生まれたとき、直接的な起因となったものは「写真」だけではないと考えている。もちろん、この世のものとは思えない絶景を収めた写真などから得る感動も存在するけれども、そちらについてはニュアンスが異なるので割愛させていただきたい。
写真により揺り動かされた感情の出処について話を戻そう。喜ぶ側と悲しむ側、両者に共通していることはサッカーファンということだけではなく、「優勝に至るまでの経緯」を知っているということだ。
過去にどんな選手が在籍していて、どれだけの接戦が繰り広げられ優勝に至ったのかを知らなければ、「へぇ、優勝したんだ」という感想以上、語りようがない。もっとディープなファンは、選手それぞれの人生までも、情報として得ているだろう。
そうなると、「写真」そのものが感情を刺激したのではなく、「チームが辿っている道のり」から切り出された「一場面」に反応したのだと考えられる。それも栄光を手にした歴史的瞬間ならば、狂喜乱舞したくなる。この場合、「チームが辿っている道のり」こそが、ストーリーに相当するものではないだろうか。
しかし、美味しい料理を食べてお気に入りのレストランを見つけたときは、「レストランが辿っている道のり」というストーリーに共感したわけではない! 味覚、嗅覚、視覚が刺激されたんだと主張されるかもしれない。
このケースも、わたしには五感だけの感動とは言い切れない。美味しい料理のレシピが生まれるまでに行われた、料理人たちの試行錯誤、料理人たちがそのレストランで腕をふるうまでの軌跡。あらゆるものが交差した延長線上に、その料理が生まれたのだから。
そしてその料理に感動したひとの人生の中に、「いきつけのレストラン」として組み込まれて展開されていく。
いま、見聞し、触って感じたり、舐めて感じるものは、人生の中の一瞬の出来事だ。何かを見た、食べた、触ったという行動は、自分にとってはただの一場面かもしれない。しかし、その一場面をシェアした側にとっては、現在進行形の通過点なのだ。
化石だって、いきなり化石になったわけではない。数千年、数万年の時間を経て、いまの形になった。気が遠くなるような時間のなかで、どのような変化を辿ったのかを知れば、興味のあるひとはどんどん化石に魅了されるだろう。
まとめてみると、わたしはあらゆるもが、時間の軸の上で生まれたものだと考えている。魔法のように、ゼロの空間から突然出現したり、なんの予備動作なしに美味しい料理や、優勝の座を手にすることはできない。つまり、あらゆるものに、それぞれが時間の経過と同時に辿ってきた道のり、ストーリーがある。ストーリーがあるから、その進行上の一瞬に何かを生み出し、共感させることができる。
スーパーにりんごが並ぶ光景にはストーリーを感じないかもしれないが、その光景は長野のりんご農家から続くストーリーの「ひとコマ」かもしれない、と感度が高い人なら気付くだろう。
静止画やモノにも、必ずといっていいほど「ストーリー」が存在していると考えるのが妥当ではないだろうか。
点が線になったとき、ひとは心動かされる
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企業理念やコーポレートアイデンティティを、本当の意味で理解してもらうために「ストーリー」が必要だという意味を、少し理解してもらえただろうか。
CIや企業理念、クレドなどが、従業員にとってただの「静止画」という認識では、いくら毎朝の朝礼で復唱させていても「共感」はされないし、理解もされない。結果、実行されるはずがない。これらは、企業や経営者が進む時間軸から生まれたひとつの「点」であり、点だけを従業員に放ってもその先のストーリーを生み出すことはない。
CIや企業理念、クレドと呼んでいるものを生み出した経緯、想い、先に描く共有したい未来など、企業側の時間軸にある点と、従業員が持つ点を結ぶことで同じ時間軸を歩むことができる。この点と点を結ぶための線が、ストーリーだ。
時間の流れの中に変化が生まれたときは、新しいストーリーが生まれたとき。だれかの心が動いたときは、ストーリーに変化が起きたとき。
点と線をつなぐストーリーは、唯一無二のものになる。似たようなシーンがあるかもしれないけれど、全く同じ過去、現在、未来を辿ることはない。企業も、ひとも、モノも、生まれた瞬間からストーリーを持っている。
想像と共感はすこし違う。
自分が人生や歴史というストーリーの登場人物であることを感じ、自身の行動には、周囲に絡み合うストーリーに変化をあたえる可能性や力があるのだと知れば、他者の言葉や気持ち、想いにも共感しやすくなるだろう。
ストーリーというレールがなければ、未来に向かうことも、心を動かすことなどできない。
そう、信じている。
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小規模ながら会社を経営している知人から、とてもシンプルな質問をされる機会があった。
どうして戦略に「ストーリー」が必要なのかと。
中小企業だろうが、大手上場企業だろうが、なにかしらの経営戦略を掲げている。そのなかで、「ストーリー戦略」という言葉を知ったらしい。
まずはじめに、質問を質問で返してみた。
「御社の経営戦略はどのようなものですか?」と。
すると知人は、「×年後までには××事業部門の××達成率を125パーセントに底上げし、××のコストをマイナス30パーセントに引き下げる……」と教えてくれた。
なるほど。具体的な数字が散りばめられた立派な戦略をお持ちのようだ。いつまでに、なにをどの程度どうしたいかは理解できたが、それを戦略として掲げるに至った経緯と根拠が目に見えない。
なによりも、従業員たちはその戦略達成の重要性を理解しているのだろうか。
「仮定の話ですが、あなたが一般の従業員として勤めていたとしましょう。そして、その戦略を会議で決まったことだからとトップダウン方式で提示されたとき、すぐに理解できますか? ひょっとしたら、そもそも戦略ってなんだろうと思う同僚もいるでしょうね」
少し嫌味っぽくなったかもしれないが、改めて問いかけると知人は腕を組んで考え込んでしまった。
では戦略とはなにか、ストーリー戦略とはなにか、考えてみよう。歴戦のビジネスマンからすれば当たり前のことかもしれないが、ここは復習だと思って。
戦略とは
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戦略を定めるには数学的な根拠が必要になるだろう。
売上高の推移や価格設定、顧客の需要に人件費の配分比率など、多くの要素を盛り込んだ具体的なものだ。それらをふまえ、なんのために「経営戦略」をたてるのか質問をすると、こう返ってくるだろう。
「今よりももっと利益を上げるため」だったり、「ブランド価値を高めるため」など、こうしたニュアンスの答えだ。
そのためにどうするべきかを筋立てていくのが「戦略」であり、長期的な指針は重要だ。いまよりも悪い状況にするために戦略を立てる経営者など、いるはずがない。
では、「いまよりももっと利益を上げるため」にはどうすればいいか掘り下げてみたい。
そこに必要なのは、「差別化」だろう。
例えば目の前の棚いっぱいに、市販の感冒薬が並んでいるとしよう。どれも似たような効能を謳っている商品のなかから、あなたはどの製薬会社の商品をカゴにいれるだろう。
薬剤の形状で選んでいるかもしれないし、単純に価格だけで決めているかもしれない。ちょっと薬剤に詳しい人は、裏面の成分表を読んで決めるかもしれない。さりげなく行っているが、この行動は紛れもなく比較・選択による差別化だ。
製薬会社は、類似品でも他社となにが違うのかを明確にし、その差異がどれだけのターゲット層に響くのかを探らなければ勝者にはなれない。
もちろん「広告宣伝費」の投資規模にもよるだろうが、広告宣伝方法にも「差別化」が必要であることは、容易に想像できるだろう。似たようなBGMとナレーションのCMでは、どちらも混乱してしまい顧客の記憶に残らないからだ。
つまり、他社との差別化なくして戦略は成り立たない。そして、どんなに精密な分析やシミュレーションを重ねて掲げた戦略であっても、賛同し理解を得ることができなければ意味がないのだ。
シミュレーションの限界
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戦略を練るにあたり、数学的データだけではなく、ある状況を「仮定」したシミュレーションをするだろう。
数年後までに、とある商材流通コストAを、コストBにした状況を想定し、その差異で収益あげるためのプランを「戦略」の一部として掲げているとしよう。
おそらく、専門部署や担当によるシミュレーションがプランの根拠になるのだろうが、自分が経営者の立場ならば、もう一声と言いたい。
なぜならば、「どうしてコストAがコストBになったのか」という因果関係が、数字だけでは対外的にはっきりと伝わってこないからだ。もっとわかりやすく、具体的なものが欲しい。
下手をすると、コストAの削減にゆかりのない従業員や部署も存在するだろう。
「わかるひとにはわかる」ような状態では、戦略とは言えない。
先の話から再度例えをあげれば、市販薬の製造販売メーカーが「うちの商品の良さがわかるひとだけが買ってくれればいい」なんて傲慢な商売をしていたら、数年後には棚から消えているだろう。
あっという間に他社との差別化、改良化の波に置いてきぼりにされてしまう。
戦略を実行するときも同じだ。
「どうしてコストAがコストBになったのか」、その因果関係を理解できない「多数派」を差し置いて、どうして実現できよう。
仮にシミュレーションで得られる結果から確かな因果関係を説明できたとしても、数値では伝えきれないものが沢山ある。
数値的データはひとつの指針であり、シミュレーションに取り入れた数値を実現可能にするのは、従業員や消費者だ。こころを持った人間による行動が起因になる。
シミュレーションを重ねることはとても重要だが、シミュレーション内容に共感性がなければ、「よくわからない架空の理論」で終わる。「そういうものなのだ」と無理やり飲み込むほかない。
少しずつ見えてきただろうか。
戦略に加えるべきものはなんなのか。
「共感性」だ。
ストーリーなくして、ひとは動かせない
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ストーリー戦略なんて、卓上の空論だと思うひともいるだろう。今回の知人も、本心では「架空の物語を戦略だなんて」と思っていたのだろう。
しかし、「仮定の話ですが、あなたが一般の従業員として勤めていたとして、その戦略を会議で決まったことだからとトップダウン方式で理解しろと言われたら、本質を理解できますか? ひょっとしたら、そもそも戦略ってなんだろうと思う同僚もいるでしょうね」と問いかけたときの知人は、考え込んだ。
役員や上層部が決めたことだからやらなければならない。
そんな雰囲気に心当たりがあるのかもしれない。
ではどうやって、一致団結し、皆が同じ方向を向いて歩めるのか。どうやったら伝わるのか、思考を巡らせていたのかもしれない。
ストーリーは、ファンタジーな童話であるとは限らない。
数学的なシミュレーションに基づいた戦略が骨だとすれば、ストーリーは肉だ。
「AをBにする」ことが目標だったとして、なぜAをBにする必要があるのかきちんと伝わらなければ、目標達成のための「戦略」としての存在意義が極めて希薄になる。
そこで「ストーリー」の出番だ。
よりリアルで共感できるストーリを加えることで、いままで掲げてきた戦略に「リアル」が加わり、多くの理解を得られる可能性が高まる。
もしも新しい商材の販売営業プロジェクトに参加することになったとき、「商材Aを1万個売ることにより得られる利益はBなので、目標はBだ!」と掲げれれても、マーケティングによる予測数値だけでは理解しにくい。
どんなに商材のスペックが高くても、なぜ商材Aが1万個も売れる予想をしているのか、ピンとこないからだ。
しかし、商材Aのターゲット層が手にとろうと思う心境や環境をストーリーにして提示し、商材Aを手にした顧客に生活変化を与え、口コミやネットでの書き込みなどの宣伝効果Cも生じ、結果、Bという利益が期待できると説明されれば、共感性が高まる。
ストーリーで共感性を高められたことにより、骨であった数学的なシミュレーションに基づいた戦略にプラスアルファが加わり、より明確でリアルなものになったケースもある。
戦略は「差別化」だと言ったが、「他社と自社が差別化できるポイントにおいて共感させるもの」として、ストーリーは必要なのだ。
世の中を動かしているのはひとだ。ひとを動かすには、こころを動かさなければならない。
ストーリーは肉であり、骨にもなる立派な「戦略」だ。
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日本に限らず、世界のリーダーたちの趣味といえば、多くがゴルフを連想するのではないだろうか。
なぜ、リーダーたちは貴重な休日を潰してまでゴルフに興じるのか。
ひょっとしたら、1986年から1990年代初頭のバブル経済期の名残かもしれない。高額のゴルフ会員権を持つことがステータスであったことは、容易に想像できる。
バブル崩壊後の現代においても、ゴルフは社交の場として機能している。
クライアントとの親睦を深めるための、いわゆる接待ゴルフだ。
ビジネスの延長として、ゴルフ練習場に通って腕を磨くひとも少なくないはずだ。
ゴルフにこだわらず、身近にいるリーダーたちの趣味を思い出してみてほしい。
彼らはなにかしらのスポーツチームに参加していたり、ジムやマラソンで体を鍛えていないだろうか。
いままで、筆者が知り合ったリーダーたちのほとんどが、継続的に運動をしていた。その種類は様々で、先に述べたゴルフをはじめ、ジムでのトレーニング、ジョギング。さらにはボルダリングやスキューバーダイビングなど、遠出も惜しまないようだった。
もちろん、文化的活動を趣味のベースとしているリーダーもいる。
しかし今回は、リーダーだからスポーツをしているのか、スポーツが得意だからリーダーなのか、この疑問について解きほぐしていきたい。
スポーツで体を動かし、気持ちのオンオフを切り替えて、複雑な経営戦略を構築している可能性は十分にある。
その反面、企業リーダーは経営状況や、リブランディングが思うように改善されなかったときに感じるストレスを、趣味のスポーツでスランプに陥った場合、解消どころか増長させてしまう可能性もある。
スポーツのストレスが負担になる場合、思い切ってやめてしまうだろうが、継続をしているリーダーが多いということは、やはりなんらかのメリットがあるのだろう。
ここは、リーダーとスポーツの間にある、共通の理念を探る価値がありそうだ。
スポーツ経験者、またはスポーツ継続中の、世界的リーダーを参考にしてみよう。
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バラク・オバマ大統領
アメリカのバラク・オバマ大統領は、高額な医療費対策として医療保険制度改革を重要政策として掲げており、二期目在任中の2010年に医療保険改革法案を成立させている。
また、同性婚を支持することを表明しており、2015年の最高裁の判決によりアメリカ全州で同性婚が認められるようになった。
このような、柔軟性に富んだ政治思想が高い支持率を得ているようだ。
そんなオバマ大統領は、演説に「You」、「We」、「Change」を多用しており、国民と政治の垣根を取り払うような言葉を用いることで、アメリカという国家のインナーブランディングに熱心なように思える。もっとも、大国の大統領なのだから当然のことではある。
政治家としての顔についてはニュースや新聞などから伝わって来るので、このあたりで割愛させてもらい、オバマ大統領のプライベートについて調べてみよう。
国家のリーダーである彼も、プライベートではスポーツがお好きなようだ。
かつてはバスケ、ベースボール、ゴルフを好み、現在も早朝にジョギングをすることを日課にしているという。
分刻みのスケージュールをこなしているのだから、オフの時間帯ぐらい、ゆっくりと体を休めればいいじゃないか。運動をするから離れてしまった筆者は、そう思ってしまう。
では、他のリーダーたちはどうだろうか。
Apple社CEO ティム・クック
Appleの創始者、スティーブ・ジョブズ氏亡き後、新たにCEOに就任したティム・クック氏はどうだろうか。
Cook氏は腰が低くて口調は柔らかく、だれに対しても丁寧に対応するという。だが仕事ぶりは非常に熱心で、自身を含む周囲の状況をすべて事細かに把握しており、鋼の精神をもって物事に立ち向かう姿勢をもっている(http://news.mynavi.jp)
というクック氏に、温厚で物静かな人物像を描くだろう。
しかし、学生時代は熱心なフットボールプレイヤーだったそうだ。
『VOGUE』編集長 アナ・ウインター
世界のファッショントレンドに絶大な影響力があると言われる、女性ファッション誌『VOGUE』のアナ・ウインター編集長も、ファッションアイコンとしての体型維持のためか、テニスを日課としている。
やはりリーダーは、スポーツから重要なマインドやパフォーマンス性を吸収しているにちがいない。
スポーツを通じてひとは何を得ているのか、スポーツ心理学者の見解を参考にしながら、リーダーに求められているものとの共通項をまとめてみよう。
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1 明確な目標設定
まず、スポーツをするにあたり、大会で好成績をおさめたい、純粋に技術の向上をさせたい、筋肉量を増やしたいなど、個々の目標が掲げられる。
その目標を達成するためには、自分がなにをすべきかを考えなければならない。
2 プランニング
なにをすべきかを導き出すためには、現状のスペックを把握することとなるだろう。
具体的に弱点と秀でた点をを分析し、目標達成のための戦略を立てるのだ。
この作業は企業経営でも同じだ。目標を設定するために、経営状況や組織の現状を把握する。弱点を克服し、補強するにはなにが必要なのか、蓋をしておきたい面にも目を向けるだろう。
スポーツを通じて、リーダーは目標と実際の力量との差を直感的に感じ取る力を養っているのかもしれない。
3 メンタルコントロール
トレーニングをはじめると、ウィークポイントを知ることになる。イメージではクリアできそうなことが、実際にやってみるとできない。そこで改めて、ウィークポーントを乗り越えるために軌道修正をする。
修正をせずに継続するか、思い切って修正案に則るか、ちいさな葛藤や苛立ちも生まれるだろう。
このときの判断力とタイミングが、効率的なトレーニング結果を得るか、逃すかの差となり、ここでも失敗と挫折を経験する。
このように、スポーツで度々沸き起こる負の感情を認め、冷静になるためには自身の実力を再検証し、問題点を自分自身に提示することになるだろう。そうした行程を繰り返し、精神力も鍛えているのだ。
スポーツをプレイするときに感じるプレッシャーや、目に見える成長を待つ間に感じるストレスは、ちいさな目標を達成するたびに解消され、また次の目標に向かうバネとなる。
忍耐と継続する努力が結果となって跳ね返ってくることは、著名なスポーツ選手たちが口を酸っぱくして述べているが、まったくその通りなのだ。
彼らの言う忍耐と努力は、肉体的トレーニングに耐えることではなく、メンタルトレーニングを指すことが多いだろう。
4 イメージトレーニング
なりたい自分をイメージして、そこに至るまでのトレーニングや自分の姿をイメージするが、前向きなイメージと実際の進捗のギャップに、何度も心が折れそうになるだろう。
しかし積み重なる失敗は貴重なヒントとなり、失敗から回避法を学び、肉体への負荷は必要最低限にとどめ、最大の効果を得ようと軌道修正を繰り返しながら、技術習得していく。
5 リラックス
イメージトレーニングと現状の照らし合わせの段階に至ると、メンタル、肉体面での限界値を見極め、休息を取り入れるリラクゼーションコントロールも、必要不可欠だ。
なにかを成し遂げるには、何事も忍耐と継続が必須だし、肉体を鍛える行程には精神を鍛えなければならない。
だが、忍耐と継続、努力だけに固執すると、必ずストレスがたまる。
適度なストレスを刺激として残す程度に、定期的に身も心もリラックスさせることがツウのスポーツマンだ。
同時に、プランAがだめならば、プランBだというような柔軟性に富んだ思考と決断力を培うことが、リーダーとして成功する秘訣のひとつなのかもしれない。
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最後に、チームプレイでは統率力や協調性を求めらえるし、個人プレイではセルフマネジメント能力を求められる。
自己分析をするには冷静な判断力を要するし、スポーツに取り組む際には集中力や予測能力をフルで活かすことになるだろう。
書き連ねてしまえばたいした発見ではないが、世のリーダーたちがスポーツで学んでいることは、リーダーとして大いに役立つ能力の維持、開発になってることだろう。
リーダーたちはきっと、体を鍛えながら精神を磨き、万全な体調を維持することで、仕事においても最高のパフォーマンスを発揮しようとしているのだ。
スポーツが得意だからリーダーになったのでも、リーダーだからスポーツをやっているのではなく、リーダーたちは継続している文化的趣味を含めた活動の中から、リーダーシップに必要なものを吸収して、アウトプットすることに長けているようだ。
言い換えれば、仕事に関係のないようなことから、仕事に必要なスキルとして転換する能力が高いのだ。人生、無駄な時間はないということか。